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編集部だより

高市 2005年2月28日 pagetop

 26日、のんこ社長と新事務所で使うイスやらテーブルやらを買いに東府中の家具量販店ニトリへ。実家に居た時京王線を使っていたが、東府中には初めて降りた。駅の近辺に喫茶店も見当たらず、ニトリへ向かう甲州街道沿いの道は、マクドナルドと元禄寿司付きのスーパーや、いやにハデな装飾の中古車販売所や、「マンション六本木」とかいう変なセンスの集合住宅(屋上にラブホテルの看板付き)…。えらく殺風景な所だ。で、買い物自体は会社の引越にしては破格のお値段で諸々購入でき大満足。その後、根本さんの個展開催中の南青山ビリケンギャラリーに寄った。初日に見た時からどれだけ変貌しているのだろうか? 噂では、ギャラリーの床を背中にペイントされた亀がのそのそ歩き回っているとかなんだとか。7時半頃ビリケンに到着。は〜。見事に増殖していた。キャンバスやらコラージュやら色紙やら壁にびっしり隙間なく。あっ亀もいた。でも水槽に入ってる。根本さんは今日が最終日前日にもかかわらず、更に展示を増やしていた。明日はどうなってるんだろう…? しかし、その作品一つ一つ…というかこの展覧会全体から、なにかと学ぶところは大きかった。まだまだ私なんぞには、解ってないところが多々あるとは思うが。(高市)

増殖が止まらない止まらない増殖が 増殖が止まらない止まらない増殖が。
増殖が止まらない止まらない増殖が  
増殖が止まらない止まらない増殖が  
風邪でお休みのつぴ机を激写 風邪でお休みのつぴ机を激写。じわじわと成長してますが、もうすぐ引越につき一旦片付けられてしまうのです残念。

手塚 2005年2月23日 pagetop

 22日、新刊の近藤ようこ著「移り気本気」と「アックス43」無事取次搬入。24日は河井克夫著「日本の実話」第二刷が入庫。5月決算まであと三カ月。みんな体に気をつけて引き続き頑張って下さい!
 突然だけど、3月11日に事務所移転。実は一年ほど前に、大家さんが諸事情でマンションを売却された。で、この一年間で二回転売されていたので「これはちょいとヤバイなぁ」と思っていたら、去年の暮、突然さらに変更した新しいオーナー会社の人が来て、マンションをとり壊すので3月いっぱいで撤去してほしい、ついてはこの書類に印鑑を、となった。
 急に言われてもなぁ、このマンションの賃貸料はものすごく安かったので次となるとヒジョーに難しい。あちこちあたってみたけどどれも高くて入れない。心配してくれた近所の飲み屋のお姉さんなんかも探してくれたりしたんだけど見つからない。途方にくれてくらーい気持ちで過ごすこと約一ヶ月…。どよ〜ん、としているところに、幸作ちゃんから「イプシロン(旧・明月堂)が入ってるビルの3階が空いたので聞いてみましょうか」ともちかけてくれ、あまりの条件の良さにトントン拍子で決定。オフィスビルなんだけど、座敷は作ってくれるしトイレはウォシュレットに変えてくれるし、第一賃料がバカ安! 引っ越し資金も圧倒的に少なかったので、飛びついてしまった。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。ビルのオーナー及び幸作ちゃんと仲介して下さったイプシロンの社長に感謝!
 場所は今の事務所から歩いて10分ぐらいのところで、最寄りの駅は曙橋駅。新宿区河田町となる。先日の日記でお東陽片岡先生のお引っ越しを手伝った、と記したが、実はお東陽先生も同じマンションの4階に住まわれていたのだった、ははは。お東陽先生も近くにいい部屋が見つかってホントによかった。
 23日夜、ネットニュースでTBSの金平茂紀氏がボーン・上田賞を受賞されたことを知る。金平さんとは長井さんを介して知りあった。TBSの発行誌に長井さんの一代記が連載されることになり、そのインタビュアーが金平さんに決定していたのだが、連載開始直前にモスクワ支局に転勤となり、金平さんのピンチヒッターとして私が指名されてしまった。金平さんの代わりだなんてものすごく緊張したけど「よろしく頼みます」と直々におっしゃって下さり、とても感激した。それ以来のおつきあい。工藝舎を立ち上げた時も、激励してくれたり心配してくれたり飲みに誘ってくれたりと、すごくお世話になった人だ。金平さんの仕事に対する姿勢はかねてより尊敬していた。ワシントンの支局長として渡米されてからも時々メールのやりとりをしていた。ライブドアとフジの問題でいろいろと考えさせられたこの時期に、話題のメディアの土壌で金平さんが受賞されたのはとても象徴的だった。時代が大きく変化するときには、重要なことが一気に飛び出してくる。まさにそんな渦中での受賞は実に感慨深い。(手塚)


手塚 2005年2月22日 pagetop

 16日「アックス43」「移り気本気」見本出来で取次営業。18日夜、私とぴこり、つっちー、お水でお東陽片岡氏の引っ越し手伝い。一番重い本をとりあえず全部箱詰めして外に運びだす。腰にきた!
 19日、故・松本正彦氏のお通夜のため代々幡斎場へ。雨にもかかわらず多くの参列者。心をこめてお焼香する。幡ヶ谷から阿佐ケ谷へ移動。よるのひるねで行われている蛭子能収×根本敬トークショーへ。超満員。「私の本が全然売れないんですよ。定価400円にすればいいのに」と蛭子さんの無謀な発言が飛び出す。400円にしたら今以上に売らないと採算分岐点にさえ届かない。終了後、よるひるで根本さん、蛭子さん、マガジン5の菅野さんに私とぴこりで遅い夕食をとる。
 21日夜、バジリコ社社長の長廻健太郎氏、末井昭氏と新宿ニュートップスで待ちあわせ。焼き肉屋で食事をした後、長廻さん行つけの店、ゴールデン街の「二都物語」へ。ここは以前一度連れてきてもらったことがあるが、妙に落ちつくしママさんも優しい。飲んでいたらガッツ石松のマネージャーさんが現れた。末井さんは以前一度お会いしているけど、一瞬思い出せなかった、ということから最近物忘れがひどくなって、挨拶されても何処の誰なのかずーっと思い出せないことがあるよね、という話で盛り上がってしまった。若いときはこんなことなかったのになぁ。
 そして3件目はゴールデン街のすぐ近くにある「花車」へ。「今日は月曜日だから荒木さんがきてるかもしれないね」などといいながらドアをあけたら両脇にべっぴんさんをはべらせて荒木(経惟)さんがいらした。お会いするのはものすごく久しぶりで、荒木さんが私に「久しぶりに会ったからプレゼントだ」と「アカシアの雨がやむとき」を歌ってくれた。私が歌を歌っているときに筆でサラサラと似顔絵を描いてくれた。現実よりもすごくいい顔に描いてくれてありがとう! さらに根本敬さんの「命名」を大絶賛!「あいつは天才だよ。ヨーロッパのアーティストもかなうやつはいないよな、世界一だよ根本は、素晴らしい!」と褒めまくってくれたのですごく嬉しかった。帰宅は末井さんにタクシーで送ってもらったけど、家についたのが何時なのかさっぱりわからないままバタリと寝てしまった。一体何時だったんだろう…。

ゴールデン街の「二都物語」で、末井さんと長廻さん。 ゴールデン街の「二都物語」で、末井さんと長廻さん
荒木さん 美女を横に熱唱する荒木さん
長廻氏 甘い声で歌い上げる長廻さん
長廻氏 「花車」のママとデュエットする末井さん
荒木さんが描いてくれたイラスト 一筆描きのようにサラサラッと荒木さんが描いてくれたイラスト
志村   pagetop
 19日、神楽坂・タカハシコレクションで行われている山口晃展「おさらい」を見に行きました。印刷工場の3階をギャラリーにしての展示ということで階段とかエレベーター(なんと手動で扉を閉める)などが当たり前ですが工場そのままで面白い。もちろん展示されている山口氏の絵も面白くて、画面の端まで細かく描いてありますから、まったく見逃せないわけです。絵をじっくり見ていますと雨の音なのか、印刷工場の音なのか、機械が稼働しているような音がずーっと聞こえてきてなんとも不思議な空間にいる気持ちになります。会場に行くのに飯田橋から行きますと不二家飯田橋店限定のペコちゃん焼きを買う事ができます。今ならカフェオレ味が売ってますので、ペコちゃん焼きを食べながら会場に向うといいと思います。会場はちょっとわかりづらくて迷子になってしまうかもしれませんが、そうなったら迷子を楽しみましょう。
 20日、紀伊国屋新宿南店にて枡野浩一著「かなしーおもちゃ」(インフォバーン)刊行記念イベント「枡野浩一・河井克夫(金紙・銀紙)トーク&サイン会」が行われました。お揃いのトレーナー、帽子でキメたお二人は本当にそっくり。1時間ほどのトークショーではイロイロな裏話なども含めたトークが繰り広げられ、枡野氏より会場にいらした方々にプレゼントが配られたりしました。その後サイン会。「かなしーおもちゃ」「日本の実話」に金紙・銀紙のサインがもらえるという貴重な機会でした。「日本の実話」ですが、おかげ様で売れ行きが良く重版になりました。ありがとうございました。まだお読みでない方は面白いので是非お手に取っていただければと思います。金紙&銀紙プレゼンツの「かなしーライブツアー」も3月12日、13日にあります(詳しくはイベント欄をご覧ください)ので、こちらもどうぞ。(し)
右・枡野浩一氏、左・河井克夫氏 右・枡野浩一氏、左・河井克夫氏
右・枡野浩一氏、左・河井克夫氏  
本当にそっくり! 本当にそっくり!

高市 2005年2月18日 pagetop

 16日、根本敬氏の個展「解ってたまるか!」初日。夕方、会場のビリケンギャラリーへ。あ、結構人が集まっているな。しかし、どうやら根本さんの到着が遅れているらしい。なんでも数日前にひいた風邪がまだ治ってないので、点滴打ってから会場へ向かうとか…。昨晩電話で根本さんと話した時、風邪で数日棒にふった為、今追い込みをかけて展示作品制作中と言っていた。風邪、大丈夫なんだろうか? …時間は刻々と過ぎて行く。スージー甘金氏、タコシェ.中山氏もいらしていたが、次の用事があるので…と先に帰られた。後から来た浅川さんも、湯浅学氏と待ち合わせてるので…と、根本さんへのフランス土産(エロ本)を預けて帰っていった。…時間はなおも刻々と過ぎて行く。根本さん、大丈夫ですか!? そうこうしているうちに、井口真吾氏がひょっこり現れた。お久しぶりです。バンロッホのお陰なのか本物のお金持ちっぽく見えます。…そしてひたすら犬のように根本さんの到着を待つ。ようやく8時過ぎくらいに根本さん到着。マスクしておでこにはデコピタクール。…なんだか意識が朦朧としているようだ。大丈夫ですか!!?? ともあれ、根本さんを囲んで乾杯した後は、和やかに時間は過ぎて行ったのであった。しかしスリリングな一夜だったな。ちなみに展覧会は2月27日(日)まで。今後展示作品がどんどん追加され、最終日に向けて日々発展していくらしい。なので最低3回は、ビリケンギャラリーに足を運ぶ事をお勧めします。(高市)

左からビリケンの三原宏元氏・井口真吾氏・根本敬氏。 左からビリケンの三原宏元氏・井口真吾氏・根本敬氏。
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なべやかん氏も来てました。 なべやかん氏も来てました。
現時点で展示は人間で言うとまだ赤ン坊状態。最終日にはどれ程の変貌を遂げているのか!? 現時点で展示は人間で言うとまだ赤ン坊状態。
最終日にはどれ程の変貌を遂げているのか!?

手塚 2005年2月17日 pagetop

2月14日朝、胃癌のため、松本正彦氏が逝去されました。生前の日本のマンガに対する貢献を感謝致すとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
青林工藝舎スタッフ一同

浅川   pagetop
 既に新聞などで報道されている通り、松本正彦氏がこの14日、亡くなった。新聞報道を見てどうしても一言言っておきたいことがあり、久々にちょっと書いておこうと思う。
 各紙に報道された松本氏の訃報には、一般的には定説とされているものの、一部事実と微妙に違う表記がある。「辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかをらと『劇画工房』を結成」という部分だ。松本氏は劇画工房「結成」時にはメンバーではなかった。当時、劇画工房のメンバーたちが各方面に送った発足の案内状には松本氏の名前は入っていない。松本氏は後から参加したのである。これには理由がある。「劇画」という言葉は辰巳ヨシヒロ氏が生みだしたものであることは周知のとおり。辰巳氏が『街12』掲載の「幽霊タクシー」で「劇画」という言葉を初めて使ったのは57年の12月だが、元々これに先立って「新しいマンガ」を提唱したのは松本氏なのだ。松本氏が生みだした言葉は「駒画」だった。これは従来のマンガと自分の描くマンガの手法的な違いを単に区別するためだけではなく、自らの作品において、従来のマンガよりもより意欲的に、新しいものを追求し続けるという決意の表明でもあった。そうした松本氏の姿勢に共鳴し、辰巳氏も自分の作品にマンガに代る言葉として名付けたのが「劇画」だった。つまり、手法において、またその姿勢において、初期劇画の正当なルーツと言えるものはまさしく松本氏の「駒画」なのだ。
 かつて辰巳氏は「松本さんの「隣室の男」(『影』1号掲載)がなければ、我々だって方向が違ってたかもしれない。あれによって『なんか新しいものが作れるんじゃないか』っていう気持ちになった。構図の取り方とか、ストーリーの持っていき方とか、今まで僕らが狙っていても描けなかったものを、短編でピシャッと描いてきた。これからの『影』ではこういう作品を描かないとと思った」と語っている(対談=松本正彦×辰巳ヨシヒロ/2000年6月21日/劇画史研究会収録/未発表)。
 したがって、劇画のいわば先輩にあたる駒画を既に提唱していた松本氏が、59年の劇画工房結成時に参加することはなかった。「劇画」という言葉がその後浸透したのは、覚えやすくインパクトのある語感が一般には馴染みやすかったという理由がまずあるだろう。加えていえば、当時大阪から相次いで上京していたマンガ家たち(主に大阪日の丸文庫『影』の執筆者)が東京の出版社での売り込みをする際に東京とは明らかに印象の違う自分たちのマンガをアピールする方法として「劇画工房」あるいは「劇画集団」という言葉が有効だったという理由も大きかったと僕は考える。本来ならマイナスとなるメジャーなマンガとの違いを劇画という新しい言葉でむしろ強調することによって、それまで泥臭い印象だった関西のマンガは新たなジャンルの出現というプラスのイメージを持たせることに成功した。松本氏はこうした劇画のムーヴメントに合流するかたちで、食うために駒画を捨てざるを得なかったのである。
 その後「劇画」という言葉は辰巳氏が提唱した本来の意味を離れ、現在どちらかといえばマイナスイメージで捉えられることが多い。劇画の生みの親でありながら、世間が勝手に貼りつける劇画のイメージに翻弄される辰巳氏も不本意だろうが、それに対して松本氏の駒画はといえば、既にまったく忘れ去られている。前述の通り、劇画のルーツは駒画である。駒画という言葉は、マンガの中に流れる時間に注目した若き日の松本氏が、「コマとコマの間になにかがある」という意味で名付けたものである。辰巳氏のいう「登場人物の内的な時間と読者の視線の流れる時間を、コマの配置によってシンクロさせる」という手法も、基本的には駒画の方法論を踏襲したものである。劇画がその手法を一般化させたのは確かだが、本当にそれを始めたのは、実は松本氏なのである。その松本氏の訃報に、駒画についてなんの記述もなく「劇画工房を結成」と書かれるのは、僕としては納得がいかないのだ。先月末、辰巳氏はフランスのアングレーム国際コミックフェスティバルに招待された。劇画がマンガを大人向けのものにするために果たした功績に対して、アングレームは辰巳氏に「特別感謝賞」を送った。僕はこの賞の幾分かは松本氏の功績と言ってもいいと思うし、辰巳氏もそれを許してくれると思っている。
 僕個人で言えば、松本正彦氏と直接お会いしてお付き合いさせていただいたのはわずか5年弱である。大西祥平氏と一緒に僕が別名でやっているひよこ書房から『パンダラブー』を復刻させていただいたのが2000年の夏。本ができてしばらくして、差出人のよくわからないハガキが届いた。文面には「再会の機会を作ってくれてうれしいがな。パンダラブー」と書いてあった。松本氏に「先日はパンダラブーからお手紙いただきまして」と言うと、「アイツ字が下手でしょ」とニコニコされていた。2002年に青林工藝舎から再復刻するときも、「せっかくですから新作があると嬉しいですねぇ」というこちらの無理なお願いに「それは難しいですなぁ。まず無理です」と言っておきながら、しばらく後に突然電話をかけてきて「新作、できました」なんて言ってくれたりする。とにかく、人をビックリさせ、喜ばせることにかけて、松本氏はいつも心憎いほどさり気なく、その点においてあんなにお茶目でカッコいい人はいなかった。昨年、ガンで手術をしたと聞いたのは春ごろだった。「胃を全部取っちゃったもんで、なんか意欲が出なくて」。松本氏とお話できたのはその時が最後だった。その後、お見舞いに行こうにも、奥様の話では誰にも会おうとしないし、通常は電話にも出ないということだった。そこには病気で変わってしまった自分の姿を晒したくないという、松本氏のダンディズムが感じられた。
 現在読むことのできる唯一の著作「パンダラブー」の不思議な魅力については、既にお読みになっている人はご存知だろう。ただ、松本氏本来の持ち味はこれとは別の傾向の作品にある。僕としては、「パンダラブー」で再び松本正彦の名を世に知らしめた後、70年代の叙情的な短編を復刻する希望を持っていた。生前にそれが実現できなかったのが残念でならない。亡くなる数週間前、せめて数作だけでも小冊子にして松本氏にお見せしようと、大西氏と僕の「ひよこ書房」コンビで急いで本を企画したのだが、その本「たばこ屋の娘」は今週土曜日のお通夜の日に出来上がることになってしまった。中野タコシェなどには置いていただく予定なので、機会があればお読みいただきたい。「パンダラブー」しか読んだことのないファンも、正統的な劇画家としての松本氏が「こんなにスゴイ人だったのか」とビックリするはずである。
「駒画というのは、ただマンガと区別しようというだけの意味で違う呼び方にしたわけではなくて、それまでのマンガとは違う表現、マンガよりも表現として上昇しようという、もっと意欲的な意味がありました。劇画という呼び方も元々はそうだったと思いますが、ジャンルを分類する言葉としてつけたわけではなくて、今までなかった新しいことをするという意欲を表そうとしたんだと思います。今、劇画自体死語になってますが、今劇画と呼ばれているものは劇画ではないですね。私にとって劇画というのは、躍進、進化するものです」(2005年1月24日、ご長男・松本知彦氏による松本正彦氏インタビューより)
 松本氏は逝ってしまったが、ほとんど誰も読んだことのない、素晴らしい作品はまだまだたくさんある。それらの作品がやがて読者の目に触れ、それぞれの心の中で生き生きと輝きだす機会が生まれるよう、今後も努力するつもりである。
2月17日深夜記

土舘 2005年2月9日 pagetop

ムーミン谷…いや、週末に秋田県へ行ってきました。2月に相応しく素晴らしい積雪量でした。久々にきりたんぽ鍋をわんぱくに食いました。(つぴこ)
モランには会えませんでした モランには会えませんでした
街中なんですよ。山の中ではございません 街中なんですよ。山の中ではございません
愛犬「コロスケさん」 愛犬「コロスケさん」

高市 2005年2月8日 pagetop

 7日、わたしが香水瓶を破壊した…などとのんこ社長は人聞きの悪いことを書かれていますが、フタがとれただけで、ただ、そのとれたフタがくっつかなくなっただけなのです。とり急ぎつま楊枝を差してみたものの、楊枝が香水をみるみる吸い上げていく。もう、手の施しようもないのだろうか…。ですが、のんこ社長のアドバイスで100円ショップへ走り、香水用アトマイザーを購入。即、移し替えようとしたのだが、付属のスポイトがえらい太くて入らない。仕方がないので直に移したら大分こぼしてしまったが、アトマイザーに入りきらなかった香水が若干残った。このままでは蒸発してしまう。もったいない! というわけで、ねり消しでフタをした。これはいい。ねり消しの意外な使い道を発見した。皆様もぜひお試し下さい。(高市)

ねり消し様のお陰で見事復活。 ねり消し様のお陰で見事復活。

手塚 2005年2月7日 pagetop

 2月7日午前中、アックス43校正で私とぴこりが印刷所へ。神保町のハゲカレーを食べて会社に戻る。午後、昨日帰国した浅川クン、時差ボケのまま出社。たくさんのお土産を買ってきてくれた。女性陣へのミニ香水セットのキャップをぴこりが破壊してしまい大騒動に! 夕方、アックスの最終校正のため志村クン印刷所へ。
 夕方5時から開かれる林静一さんの個展「淋しかったからくちづけしたのー発売記念原画展」(パルコ出版刊)のオープニングに、銀座のスパンアートギャラリーへ。日本画の画材で描かれた美しい少女絵に取り囲まれながら、たくさんの人達が歓談している。林ご夫妻と画廊の種村ご夫妻に挨拶して高取英さんと話していると香田明子さん、末井昭さん、池上遼一さん、近藤ようこさん、康芳夫さん、上野昂志さん、久住昌之さん、吉田光彦さん、井上則人さん、パイデザの平塚さんご夫妻、アトリエ38の町田さんらが続々来場。終了時間ギリギリで南伸坊さんも来場。こうなったらやっぱり二次会だ。近所の居酒屋で好き勝手におしゃべり。私は香田さん、池上さん、井上さんと雑談。池上さんは今現在月産60頁も描かれている。ホントにお若い! 南さんや上野さんも乱入してきて、映画や病気や政治の話に。ワイワイ騒いで11時頃お開き。さて、次は三次会。皆さんが行つけのバーに行く、というので「銀座は高いんじゃないですか?」と勝手に心配していると、上野さんが「全然大丈夫、銀座なのにゴールデン街みたいなところだら」とおっしゃるので、恐る恐るついてゆくと、ホントに上野さんのおっしゃる通りで何だか怪しげな雰囲気…。小さなスペースに林ご夫妻、上野さん、南さん、康さん、井上さん、映画芸術の編集長に私と大人8人がみっちりと寄り添って座った。上野さんと康さん、そしてバーのママさんの過激なやりとりに、みんながチャチャを入れる、という抱腹絶倒の時間をすごし、近所のうどん屋木屋できつねうどんをたいらげて帰宅。布団にはいると4時を過ぎていた。あれまー、こんなに時間が経っていたのか。楽しかったからちっとも気がつかなかった。
 林さんの個展は19日までです。原画の他に、サイン本、そしてリトグラフも販売(9日より当HPグッズコーナー参照)しているので、是非ご来場を! (手塚)

末井昭さん、香田明子さん、近藤ようこさん。 末井昭さん、香田明子さん、近藤ようこさん。
歓談する上野昂志さんと近藤さん。

歓談する上野昂志さんと近藤さん。

 

井上則人さんと林さん。向かって左は平塚ご夫妻。 井上則人さんと林さん。向かって左は平塚ご夫妻。
アトリエ38の町田さんと林さん。 アトリエ38の町田さんと林さん。
池上遼一さんと久住昌之さん。 池上遼一さんと久住昌之さん。
左から、ギャラリーの種村さん、吉田光彦さん、高取英さん。 左から、ギャラリーの種村さん、吉田光彦さん、高取英さん。
康芳夫さん 二次会で乾杯の音頭をとる康芳夫さん。

土舘 2005年2月3日 pagetop

 寿司屋にまんまとだまされて、ロマンチックに丸かぶりました。今後の目標は、しあわせの壺ならぬマ・クベの壺です。(つぴこ)

手塚

2005年2月1日

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★緊急のお知らせです!
 現在トランスポップギャラリーで行われている近藤聡乃氏の個展で、描き下ろしペン画(ポストカード大/価格5,250円)15点が入りました。開催期間は6日(日)迄ですので、関西にお住まいの方、このラストチャンスをお見逃しなく!! 
問合せTEL:075-723-1780 トランスポップギャラリー迄



しりあがり寿掛軸
しりあがり寿氏に戴いた掛軸
魔除
効力大の魔除絵
熊手
ゴージャスな熊手!
受け付嬢
受け付嬢多数