2005年2月 |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
|
|
|
|
|
先月へ← →次月へ
|
|
22日、新刊の近藤ようこ著「移り気本気」と「アックス43」無事取次搬入。24日は河井克夫著「日本の実話」第二刷が入庫。5月決算まであと三カ月。みんな体に気をつけて引き続き頑張って下さい!
突然だけど、3月11日に事務所移転。実は一年ほど前に、大家さんが諸事情でマンションを売却された。で、この一年間で二回転売されていたので「これはちょいとヤバイなぁ」と思っていたら、去年の暮、突然さらに変更した新しいオーナー会社の人が来て、マンションをとり壊すので3月いっぱいで撤去してほしい、ついてはこの書類に印鑑を、となった。
急に言われてもなぁ、このマンションの賃貸料はものすごく安かったので次となるとヒジョーに難しい。あちこちあたってみたけどどれも高くて入れない。心配してくれた近所の飲み屋のお姉さんなんかも探してくれたりしたんだけど見つからない。途方にくれてくらーい気持ちで過ごすこと約一ヶ月…。どよ〜ん、としているところに、幸作ちゃんから「イプシロン(旧・明月堂)が入ってるビルの3階が空いたので聞いてみましょうか」ともちかけてくれ、あまりの条件の良さにトントン拍子で決定。オフィスビルなんだけど、座敷は作ってくれるしトイレはウォシュレットに変えてくれるし、第一賃料がバカ安! 引っ越し資金も圧倒的に少なかったので、飛びついてしまった。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。ビルのオーナー及び幸作ちゃんと仲介して下さったイプシロンの社長に感謝!
場所は今の事務所から歩いて10分ぐらいのところで、最寄りの駅は曙橋駅。新宿区河田町となる。先日の日記でお東陽片岡先生のお引っ越しを手伝った、と記したが、実はお東陽先生も同じマンションの4階に住まわれていたのだった、ははは。お東陽先生も近くにいい部屋が見つかってホントによかった。
23日夜、ネットニュースでTBSの金平茂紀氏がボーン・上田賞を受賞されたことを知る。金平さんとは長井さんを介して知りあった。TBSの発行誌に長井さんの一代記が連載されることになり、そのインタビュアーが金平さんに決定していたのだが、連載開始直前にモスクワ支局に転勤となり、金平さんのピンチヒッターとして私が指名されてしまった。金平さんの代わりだなんてものすごく緊張したけど「よろしく頼みます」と直々におっしゃって下さり、とても感激した。それ以来のおつきあい。工藝舎を立ち上げた時も、激励してくれたり心配してくれたり飲みに誘ってくれたりと、すごくお世話になった人だ。金平さんの仕事に対する姿勢はかねてより尊敬していた。ワシントンの支局長として渡米されてからも時々メールのやりとりをしていた。ライブドアとフジの問題でいろいろと考えさせられたこの時期に、話題のメディアの土壌で金平さんが受賞されたのはとても象徴的だった。時代が大きく変化するときには、重要なことが一気に飛び出してくる。まさにそんな渦中での受賞は実に感慨深い。(手塚)
|
|
|
2月14日朝、胃癌のため、松本正彦氏が逝去されました。生前の日本のマンガに対する貢献を感謝致すとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
青林工藝舎スタッフ一同
|
|
既に新聞などで報道されている通り、松本正彦氏がこの14日、亡くなった。新聞報道を見てどうしても一言言っておきたいことがあり、久々にちょっと書いておこうと思う。
各紙に報道された松本氏の訃報には、一般的には定説とされているものの、一部事実と微妙に違う表記がある。「辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかをらと『劇画工房』を結成」という部分だ。松本氏は劇画工房「結成」時にはメンバーではなかった。当時、劇画工房のメンバーたちが各方面に送った発足の案内状には松本氏の名前は入っていない。松本氏は後から参加したのである。これには理由がある。「劇画」という言葉は辰巳ヨシヒロ氏が生みだしたものであることは周知のとおり。辰巳氏が『街12』掲載の「幽霊タクシー」で「劇画」という言葉を初めて使ったのは57年の12月だが、元々これに先立って「新しいマンガ」を提唱したのは松本氏なのだ。松本氏が生みだした言葉は「駒画」だった。これは従来のマンガと自分の描くマンガの手法的な違いを単に区別するためだけではなく、自らの作品において、従来のマンガよりもより意欲的に、新しいものを追求し続けるという決意の表明でもあった。そうした松本氏の姿勢に共鳴し、辰巳氏も自分の作品にマンガに代る言葉として名付けたのが「劇画」だった。つまり、手法において、またその姿勢において、初期劇画の正当なルーツと言えるものはまさしく松本氏の「駒画」なのだ。
かつて辰巳氏は「松本さんの「隣室の男」(『影』1号掲載)がなければ、我々だって方向が違ってたかもしれない。あれによって『なんか新しいものが作れるんじゃないか』っていう気持ちになった。構図の取り方とか、ストーリーの持っていき方とか、今まで僕らが狙っていても描けなかったものを、短編でピシャッと描いてきた。これからの『影』ではこういう作品を描かないとと思った」と語っている(対談=松本正彦×辰巳ヨシヒロ/2000年6月21日/劇画史研究会収録/未発表)。
したがって、劇画のいわば先輩にあたる駒画を既に提唱していた松本氏が、59年の劇画工房結成時に参加することはなかった。「劇画」という言葉がその後浸透したのは、覚えやすくインパクトのある語感が一般には馴染みやすかったという理由がまずあるだろう。加えていえば、当時大阪から相次いで上京していたマンガ家たち(主に大阪日の丸文庫『影』の執筆者)が東京の出版社での売り込みをする際に東京とは明らかに印象の違う自分たちのマンガをアピールする方法として「劇画工房」あるいは「劇画集団」という言葉が有効だったという理由も大きかったと僕は考える。本来ならマイナスとなるメジャーなマンガとの違いを劇画という新しい言葉でむしろ強調することによって、それまで泥臭い印象だった関西のマンガは新たなジャンルの出現というプラスのイメージを持たせることに成功した。松本氏はこうした劇画のムーヴメントに合流するかたちで、食うために駒画を捨てざるを得なかったのである。
その後「劇画」という言葉は辰巳氏が提唱した本来の意味を離れ、現在どちらかといえばマイナスイメージで捉えられることが多い。劇画の生みの親でありながら、世間が勝手に貼りつける劇画のイメージに翻弄される辰巳氏も不本意だろうが、それに対して松本氏の駒画はといえば、既にまったく忘れ去られている。前述の通り、劇画のルーツは駒画である。駒画という言葉は、マンガの中に流れる時間に注目した若き日の松本氏が、「コマとコマの間になにかがある」という意味で名付けたものである。辰巳氏のいう「登場人物の内的な時間と読者の視線の流れる時間を、コマの配置によってシンクロさせる」という手法も、基本的には駒画の方法論を踏襲したものである。劇画がその手法を一般化させたのは確かだが、本当にそれを始めたのは、実は松本氏なのである。その松本氏の訃報に、駒画についてなんの記述もなく「劇画工房を結成」と書かれるのは、僕としては納得がいかないのだ。先月末、辰巳氏はフランスのアングレーム国際コミックフェスティバルに招待された。劇画がマンガを大人向けのものにするために果たした功績に対して、アングレームは辰巳氏に「特別感謝賞」を送った。僕はこの賞の幾分かは松本氏の功績と言ってもいいと思うし、辰巳氏もそれを許してくれると思っている。
僕個人で言えば、松本正彦氏と直接お会いしてお付き合いさせていただいたのはわずか5年弱である。大西祥平氏と一緒に僕が別名でやっているひよこ書房から『パンダラブー』を復刻させていただいたのが2000年の夏。本ができてしばらくして、差出人のよくわからないハガキが届いた。文面には「再会の機会を作ってくれてうれしいがな。パンダラブー」と書いてあった。松本氏に「先日はパンダラブーからお手紙いただきまして」と言うと、「アイツ字が下手でしょ」とニコニコされていた。2002年に青林工藝舎から再復刻するときも、「せっかくですから新作があると嬉しいですねぇ」というこちらの無理なお願いに「それは難しいですなぁ。まず無理です」と言っておきながら、しばらく後に突然電話をかけてきて「新作、できました」なんて言ってくれたりする。とにかく、人をビックリさせ、喜ばせることにかけて、松本氏はいつも心憎いほどさり気なく、その点においてあんなにお茶目でカッコいい人はいなかった。昨年、ガンで手術をしたと聞いたのは春ごろだった。「胃を全部取っちゃったもんで、なんか意欲が出なくて」。松本氏とお話できたのはその時が最後だった。その後、お見舞いに行こうにも、奥様の話では誰にも会おうとしないし、通常は電話にも出ないということだった。そこには病気で変わってしまった自分の姿を晒したくないという、松本氏のダンディズムが感じられた。
現在読むことのできる唯一の著作「パンダラブー」の不思議な魅力については、既にお読みになっている人はご存知だろう。ただ、松本氏本来の持ち味はこれとは別の傾向の作品にある。僕としては、「パンダラブー」で再び松本正彦の名を世に知らしめた後、70年代の叙情的な短編を復刻する希望を持っていた。生前にそれが実現できなかったのが残念でならない。亡くなる数週間前、せめて数作だけでも小冊子にして松本氏にお見せしようと、大西氏と僕の「ひよこ書房」コンビで急いで本を企画したのだが、その本「たばこ屋の娘」は今週土曜日のお通夜の日に出来上がることになってしまった。中野タコシェなどには置いていただく予定なので、機会があればお読みいただきたい。「パンダラブー」しか読んだことのないファンも、正統的な劇画家としての松本氏が「こんなにスゴイ人だったのか」とビックリするはずである。
「駒画というのは、ただマンガと区別しようというだけの意味で違う呼び方にしたわけではなくて、それまでのマンガとは違う表現、マンガよりも表現として上昇しようという、もっと意欲的な意味がありました。劇画という呼び方も元々はそうだったと思いますが、ジャンルを分類する言葉としてつけたわけではなくて、今までなかった新しいことをするという意欲を表そうとしたんだと思います。今、劇画自体死語になってますが、今劇画と呼ばれているものは劇画ではないですね。私にとって劇画というのは、躍進、進化するものです」(2005年1月24日、ご長男・松本知彦氏による松本正彦氏インタビューより)
松本氏は逝ってしまったが、ほとんど誰も読んだことのない、素晴らしい作品はまだまだたくさんある。それらの作品がやがて読者の目に触れ、それぞれの心の中で生き生きと輝きだす機会が生まれるよう、今後も努力するつもりである。
2月17日深夜記 |
|
|
ムーミン谷…いや、週末に秋田県へ行ってきました。2月に相応しく素晴らしい積雪量でした。久々にきりたんぽ鍋をわんぱくに食いました。(つぴこ) |
|
モランには会えませんでした |
|
街中なんですよ。山の中ではございません |
|
愛犬「コロスケさん」 |
|
|
|
7日、わたしが香水瓶を破壊した…などとのんこ社長は人聞きの悪いことを書かれていますが、フタがとれただけで、ただ、そのとれたフタがくっつかなくなっただけなのです。とり急ぎつま楊枝を差してみたものの、楊枝が香水をみるみる吸い上げていく。もう、手の施しようもないのだろうか…。ですが、のんこ社長のアドバイスで100円ショップへ走り、香水用アトマイザーを購入。即、移し替えようとしたのだが、付属のスポイトがえらい太くて入らない。仕方がないので直に移したら大分こぼしてしまったが、アトマイザーに入りきらなかった香水が若干残った。このままでは蒸発してしまう。もったいない! というわけで、ねり消しでフタをした。これはいい。ねり消しの意外な使い道を発見した。皆様もぜひお試し下さい。(高市)
|
|
ねり消し様のお陰で見事復活。 |
|
|
|
2月7日午前中、アックス43校正で私とぴこりが印刷所へ。神保町のハゲカレーを食べて会社に戻る。午後、昨日帰国した浅川クン、時差ボケのまま出社。たくさんのお土産を買ってきてくれた。女性陣へのミニ香水セットのキャップをぴこりが破壊してしまい大騒動に! 夕方、アックスの最終校正のため志村クン印刷所へ。
夕方5時から開かれる林静一さんの個展「淋しかったからくちづけしたのー発売記念原画展」(パルコ出版刊)のオープニングに、銀座のスパンアートギャラリーへ。日本画の画材で描かれた美しい少女絵に取り囲まれながら、たくさんの人達が歓談している。林ご夫妻と画廊の種村ご夫妻に挨拶して高取英さんと話していると香田明子さん、末井昭さん、池上遼一さん、近藤ようこさん、康芳夫さん、上野昂志さん、久住昌之さん、吉田光彦さん、井上則人さん、パイデザの平塚さんご夫妻、アトリエ38の町田さんらが続々来場。終了時間ギリギリで南伸坊さんも来場。こうなったらやっぱり二次会だ。近所の居酒屋で好き勝手におしゃべり。私は香田さん、池上さん、井上さんと雑談。池上さんは今現在月産60頁も描かれている。ホントにお若い! 南さんや上野さんも乱入してきて、映画や病気や政治の話に。ワイワイ騒いで11時頃お開き。さて、次は三次会。皆さんが行つけのバーに行く、というので「銀座は高いんじゃないですか?」と勝手に心配していると、上野さんが「全然大丈夫、銀座なのにゴールデン街みたいなところだら」とおっしゃるので、恐る恐るついてゆくと、ホントに上野さんのおっしゃる通りで何だか怪しげな雰囲気…。小さなスペースに林ご夫妻、上野さん、南さん、康さん、井上さん、映画芸術の編集長に私と大人8人がみっちりと寄り添って座った。上野さんと康さん、そしてバーのママさんの過激なやりとりに、みんながチャチャを入れる、という抱腹絶倒の時間をすごし、近所のうどん屋木屋できつねうどんをたいらげて帰宅。布団にはいると4時を過ぎていた。あれまー、こんなに時間が経っていたのか。楽しかったからちっとも気がつかなかった。
林さんの個展は19日までです。原画の他に、サイン本、そしてリトグラフも販売(9日より当HPグッズコーナー参照)しているので、是非ご来場を! (手塚)
|
|
|
|
寿司屋にまんまとだまされて、ロマンチックに丸かぶりました。今後の目標は、しあわせの壺ならぬマ・クベの壺です。(つぴこ) |
|
|
★緊急のお知らせです!
現在トランスポップギャラリーで行われている近藤聡乃氏の個展で、描き下ろしペン画(ポストカード大/価格5,250円)15点が入りました。開催期間は6日(日)迄ですので、関西にお住まいの方、このラストチャンスをお見逃しなく!!
問合せTEL:075-723-1780 トランスポップギャラリー迄
|
|
|
|
しりあがり寿氏に戴いた掛軸 |
|
効力大の魔除絵 |
|
ゴージャスな熊手! |
|
受け付嬢多数 |
|