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編集部だより

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                  <td width= 2007年2月28日 pagetop

 突然ですが。吉祥寺に出向いた折にはバサラブックス(武蔵野市吉祥寺南町1-5-13)のシャッターに注目!!!! なんで注目なのかというと、後藤友香嬢がシャッターにペインティングしたんです。そして先日バサラの店長・福井氏が、ご厚意で制作時の写真を提供して下さったので、これより友香画伯の話を元に、想像でその日の模様をお伝えします。
 バサラ・シャッター計画は、とある2月の昼下がりに決行された。なお、この計画を遂行するにあたり、お店の営業の関係でその日の内に仕上げなければならないという容赦ない時間制限があった。目の前に立ちはだかる巨大なシャッター。友香画伯はキッと口元を引き締め、シャッターに挑んだ(たぶん)。…黙々と作画に集中するが日は刻々と暮れてゆく(たぶん)。暖冬とはいえ朝夕にはまだまだ厳しい寒さが残っております今日この頃。福井氏とその友人の手も借りて、ついに完成したのは夜も更けた午後11時だった。長時間にわたる作業を終え、疲労がどっと押し寄せたがしかし(たぶん)、殺風景だったシャッターが明朗な一枚の絵に生まれ変わった瞬間、皆、一つの計画を成し遂げた喜びと達成感を噛み締めたのだった(正義隊か!?)。
 というわけで、吉祥寺名物になりそうなバサラ・シャッターですが、お店が閉まってる時でないと絵を見られないという事実。なので、午後12時の開店直前、または午後11時半の閉店前にお店へ行くのがよいかと思います(ちなみに定休は月曜日)。いずれ新宿・渋谷・原宿・銀座辺りのドデカイ看板も、友香画伯の絵になればいいのに。と、ついでに妄想。
 あとお知らせ一つ。コロンビアコーヒーのキャンペーンで、友香画伯デザインのカップ&ソーサーが展示される「バカップ展」が3月に開催されます。詳しくはイベント情報、または「Hot Pepper3月号」巻頭広告をご覧下さい。…後藤友香嬢はますます絶好調でノンストップ状態なのです。(高市)

バサラシャッター01

19時45分。果たして今晩中に完成出来るのか!?スリリングな時間だったんだろうな。

バサラシャッター02 22時29分。ほぼ完成!
「ぴっちり色を塗ってあるのでシュールな感じです」とは友香画伯の感想。仕上がりは満足だそうです。

志村 2007年2月23日 pagetop

 18日のTBSラジオ『伊集院光 日曜日の秘密基地』をお聞きになりましたでしょうか? 番組のコーナー『打った、勝った!草野球で大売出し!』のコーナーになんと古泉智浩さんが出演されました! これは映画『青春★金属バット』のDVD発売の宣伝をするために古泉さんが自ら申し込んだもので、番組リスナーにとっては夢のような出来事です。ルールは3打席勝負をして、ヒットが出ないと、映画のタイトルも言えないという過酷なものであったのですが、結果は無事ヒットも出て、映画の宣伝(『どろろ』並み?)も出来て、とても良かったのでした。
 そんなDVDは21日から発売&レンタル開始されています! 舞台挨拶をする古泉氏の姿や、DVDでしかみられない「青春☆金属バット番外編!」など125分のてんこ盛り特典映像入り。是非皆さん見てくださいね。(し)

青春金属バット

見ようぜ!


土舘 2007年2月16日 pagetop

 『大地獄城・血だるま力士』遂に出ました。に伴い、応募者全員プレゼント受付開始! 更にフェア参加書店さん大募集! 詳細はサイトトップのバナーをグッと押すがよろしかろう。このミニチュア複製原画、実際もの凄く良い出来なのよ。美麗過ぎて目を見張ったわ。立春も過ぎたことですし、地獄、更に血だるまで麗らかに春をお迎えください。
 全国一部書店さん用に通常の販促品も出来ましたのでね、『大地獄城〜』『不死身のニッポン』共にそのうちお届け致します。御要り用の書店さんもね、居らっしゃいましたら御一報くださいませ。一覧注文書3月号もあがりましたので、そのうち、つーか更新しました。よろちくね。(つぴこ)


手塚 2007年2月10日 pagetop

 9日、平田弘史氏新刊「大地獄城・血だるま力士」見本で、志村クン、水村クンが取次へ。夕方より故・渡辺和博氏のお通夜のため、全員で四谷たちばな会館へ。お通夜・告別式の二日間「週刊朝日」の編集部の方々と一緒に全員で受付をお手伝いするため、一時間早く出向く。奥さん、それに長男の昭夫君、治子ちゃんにおくやみをのべる。久し振りにお会いできるのがこんな時だなんて…。お通夜開始前に、友人であり住職の上杉清文氏、鈴木裕弘氏がお経を捧げた。
 18時よりお通夜。三百人程の人が参列しお焼香。ガロ出身の作家さんたちも大勢参列されていた。お焼香のあと、親しかった方々が集まって上の階で食事。渡辺さんの先生である赤瀬川原平氏を中心に、嵐山光三郎、南伸坊、林静一の各氏はもとより、沢山の方々が思い出はなしに花を咲かせ、終始賑やかだった。奥さんが「こんなに早く逝ってしまうのも、なんだかあの人らしいですよね」とおっしゃっていたけれど、みんなを残して自分一人サッサと逝ってしまうなんてホントに渡辺さんらしいナ。帰り際にお顔を拝見させてもらった。鼻筋がピンと通った端正な顔立ちで、とても安らかな表情だった。
 10日、告別式のため9時に会場へ。告別式にも多くの方が参列。お通夜に来られなかったガロ作家もまた多数参列。お焼香前に赤瀬川さんと南さんが弔辞を読まれたのだが、素晴らしい言葉とお二人の涙声に、多くの参列者がハンカチを目にしていた。あんなに愛の溢れた言葉で送られる渡辺さんはとても幸せだな、と思う。みうらじゅんさんや平口広美さん、東陽片岡さん、近藤ようこさん、内田春菊さんらとお棺にお花を供え、最後のお別れをした。奥さんのご挨拶の中で「大変な闘病生活だったけれど、家族にあたりちらすことも一切しなかった、優しいお父さんでした」という言葉がとても印象的だった。
 二日間とも受付をしていたのでなんだかせわしなく、渡辺さんが亡くなった実感が今一つわかなかったけれど、これからボディーブローのようにきいてくるのだろうな。エピソードはたくさんあるけれど、それは4月売りのアックスの「追悼記事」で書くことにしよう。今はただご冥福を祈るばかり。渡辺のオヂさんがいなくなってしまったことは、今はあまり考えたくない。(手塚)

ビリケンごちん01

葬儀が行われた四谷たちばな会館。

ビリケンごちん02 祭壇にはちょっと前の元気な姿の遺影が飾られていた。
ビリケンごちん03 お通夜の最後に顔を見ながらお別れを。
ビリケンごちん03 告別式が終ってもなかなか立ち去れなかった。


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                  <td width= 2007年2月10日 pagetop

 日記、長いことサボっていた。日記って何だっけ?? と、しらばっくれるのはしらじらしいですね…。
 さて。手塚さんが12月の日記でご報告しましたが、昨年11月に我が社の愛鳥ちゅんこが天に召された。いつか必ず来るその時を覚悟してはいたけど、ちゅんこのいる日常が当たり前だったので、突然いなくなってしまうのはやっぱり淋しい。今は骨になって帰ってきた骨ちゅんこが以前と変わらず窓辺にいる。そして以前とさほど変わらない毎日が過ぎて行く。
 1月31日。当HPで不定期連載をお願いしている小説の新作「花の船」を完成させた西岡兄氏来社。前回の更新から一年ぶりですが、悪夢度がさらに増して読みごたえありです。炬燵で寝てしまってイヤな汗をかいた時の感じを思い出してしまう。それにしても、西岡兄氏は忘れられ朽ちかけた、その存在自体が曖昧な風景の描写がうまい。うまいといえば、小説のテキスト・データを頂いた後、大のラーメン好きな兄氏に兼ねてから「小説の新作書けたら食べにいきましょう!」といっていた、四谷三丁目に新しく(といっても1年くらい前)出来たラーメン屋へ行った。味噌ラーメンがメインで、店内は狭いが開店以来いつも外にお客が並んでいる店。ラーメン通の兄氏が「また来たい!」といい、ラーメンそれほど…同じ金出すなら定食屋行きたい私も満足だった。次の小説更新が早くなりそうな…。
 2月1日。後藤友香嬢の個展「Endless Planet」オープニング。手塚さん、つっちー、同じビルのイプシロン出版・のぶえさんと青山ビリケンギャラリーへ。会場には本秀康さん、川崎タカオさん、島田虎之介ご夫妻、堀道広さん、横山裕一さんがいらしていて、菅野修さんから祝電も! 人の熱気と絵から放射されるビッグバンに相当しそうなエネルギーとで会場は燃えている! そんな空間にいると無条件にテンションが上がり、理屈なんてひれ伏したまま150億光年彼方へ吹っ飛んでしまう。感動に理屈はいらないんだ。というわけで、会期は2月14日までと残り僅かですが、まだ行ってない方はぜひ! そして会場まで全速力で走って行くと、ギャラリー内のテンションと瞬時にシンクロ出来る。かも。
 最後に。6日に逝去された渡辺和博氏に合掌。先に逝かれた長井さんに、香田さんをはじめみんな元気にしてます、とお伝え下さい。(高市)

ビリケンごちん01

向かって右から本秀康氏・川崎タカオ氏・後藤友香氏・島田虎之介ご夫妻

ビリケンごちん02 少し遅れてきた堀道広氏と。漫才コンビか?
ビリケンごちん03 原画の迫力をじかに体験して下さい!

土舘 2007年2月8日 pagetop

 病院の検査帰りの昼過ぎ、ふらりと編集部に立ち寄った渡辺のオヂさんが「今日は検査だったから、朝から何も食べてないんだ」と言ったので、「あ、じゃあ何か買って来ますよ。何がいいですか」「じゃあね、アンパンと牛乳がいいな」なんて会話をしたのが、つい昨日の事のように思えるわ。編集部に電話を掛けてきた時も、出し抜けに「さぬきうどん、食べてるぅ?」とか、「缶詰あるんだけど、要るぅ?」とか。そんなのは渡辺のオヂさんくらいなものだ。
 この場を借りて…本当にありがとうございました。(つぴこ)


手塚 2007年2月6日 pagetop

 本日朝、遅れに遅れていたアックスのギリギリ最終入校作業中に、渡辺和博さんの訃報が届いた。六日未明、肝臓ガンの再発で亡くなられた。享年56歳だった。C型肝炎から肝臓ガンになり、最終的には生体移植まで施したけれどダメだった。入退院を繰り返していた慶應病院は会社から近いので、その間イラスト仕事のプリントアウトやら何やらをちょこちょことお手伝いしていたり、検査の日は帰りに編集部に立ちよってくれていたりしてたのに、さらに、今月26日の誕生日を目の前にして亡くなっただなんてウソのようだ。
 渡辺さんとは「ガロ」編集部で四年間一緒だったけれど、編集の実技以外の精神的なことで教えられることが多かった。一見ぶっきらぼうに見えるんだけど、実はものすごく生真面目な人で、そういう話になると結構真剣に語ってくれたのだ。南さんとともに私に大きな影響を与えてくれた一人だった。そんな人が鬼籍に入ってしまうなんて、悲しいというより淋しくて仕方がない。
 青林工藝舎を立ち上げたときも、すぐに株主になってくれた。また、ネットでガヤガヤと書かれたりしたことや、全員お金なかったことを心配してくれて、こっそりお米やビールを車で届けてくれ、「オヂさんは味方だから」とひとこと言い残して照れ臭そうにササッと車に乗り込んだ姿が忘れられない。
 昼過ぎから作家の方々に連絡を入れてたんだけど、鈴木翁二氏が「北海道に帰ってからも何回か電話くれたんだよね」と、ポツリといっていた。意外かもしれないけど、渡辺さんは見かけによらずものすごく優しい人で、大好きだった翁二さんが心配で心配でならなかったのだろう。今になってそんな話をきくとまたあの「クククッ」という笑顔が思い出されてたまらなくなってくる。
 それに故・長井勝一氏が一番可愛がっていたのが渡辺さんだった。渡辺さんは人の話を聞くのがすごくうまくって、長井さんが喜びそうな話題をふっては毎日楽しい会話を繰り広げ、雰囲気をなごませるのが渡辺さんの役割で、長井さんは「ナベゾ」と呼んで自分の息子のように可愛がっていた。きっとあの世で再会しているんだろうな。後半はイラストレーターという肩書きだったけれど、ガロ75年8月号で『私の初体験』でデビューし、80年代初頭まで傑作マンガ作品を描き、名著「タラコステーキ」「タラコクリーム」「熊猫人民公社」等の単行本を残していたことも、みなさんには絶対に忘れないで欲しい。
 渡辺さん、今までありがとう。闘病生活、本当にお疲れさまでした。(手塚)

しりあがり寿掛軸
しりあがり寿氏に戴いた掛軸
魔除
効力大の魔除絵
熊手
ゴージャスな熊手!
受け付嬢
受け付嬢多数